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横浜今昔物語④ 関内地区の発展と馬車道の歴史

吉田橋の関門から開港場に至る道が、今回ご紹介する「馬車道」。開港当時に経済的な中心地であったこのエリアを、多くの外国人が馬車で行き来していたことからこの名前が着いたのだとか。開港場に直結している馬車道には、【日本初】もたくさん! あわせてご紹介します。(2016年12月発行「Mon横濱」vol.6より)

公開日 2017年10月26日

カテゴリ
街を知る
エリア
関内駅
馬車道駅
日本大通り駅
ライター
Mon横濱
横浜今昔物語④ 関内地区の発展と馬車道の歴史

馬車道の繁栄

1859年(安政6年)に、幕府が当時100戸程度の寒村であった横浜村に開港場を開き、ほぼ同じ時期に東海道と開港場を結ぶ重要なバイパスとして古道「横浜道」が完成しました。その横浜道の起終点となる吉田橋に関門が設置され、関門の内側(海側)が関内、外側は関外と呼ばれるようになったというお話は前回( 横浜今昔物語③ 関内・関外の歴史 )ご紹介しましたね。この吉田橋の関門から開港場に至る道が馬車道です。

開港当時、馬車道には多くの日本人と外国人が行き交っていました。そこは外国と日本の商取引を行う商社や金融の業務街、経済的な中心地であり、貿易商や書画骨董などを取り扱う商店が立ち並ぶ国際街として賑わいました。多くの外国人達がこの道を馬車で往来していて、当時の人々にはその姿がとても珍しく、この道が「馬車道」と呼ばれるようになったようです。関内には商家に加えて芝居小屋や寄席なども建てられて、おおいに繁栄しました。しかし開港から7年後の1866年(慶応2年)の10月に旧末広町の豚肉料理屋から出火した「豚屋火事」により千数百戸の家屋が焼け、外国人商館もその多くが消失。港崎遊郭(みよぎゆうかく)もこの大火で壊滅しました。

馬車道

住所
神奈川県横浜市中区尾上町4
最終更新日:2017.10.18
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関内地区の再整備

▲馬車道

関内地区の3分の2が焼けてしまったというこの大火を機に、町並みが再編・整備されることに。港崎遊郭の跡地は外国人と日本人がともに使える公園(現在の横浜公園)になりました。また幅60フィート(約18メートル)の道路3本が計画的に整備されました。そのうちの一つ、海岸通から吉田橋までの道路が現在の馬車道です。また日本人居住地と外国人居留地を改善整備した後、火災の延焼を防ぐために双方の地区の間に港側から公園まで120フィートの幅をとり通されたのが現在の日本大通りです。通りの両側には街路樹が植えられ、ゆったりした幅の歩道も整備されたのですね。この周辺は建築物の屋根や壁の部材にも火災に備えた決め事があったようです。

馬車道は流行の最先端?

関門内では馬車道を経て、本町通り、弁天通りなどの海岸線に沿った短冊状の街区が徐々に整備されていきました。本町を中心として北仲通、南仲通には会社や銀行が集中していましたが、もう1本となりの弁天通りには陶器、漆器などの日本製品を外国人向けに売る店が多く、洋服やワイシャツなどの舶来高級品を売る店も多く並びました。当時の横浜は東京よりも流行を先取りしていたのだそうです。東京からはお金を持った人達が買物に来るので、うなぎや肉料理など高価な料理屋も繁盛していたそうですよ。現在の馬車道は道路の名前でもあり、また商店街の名称でもあるのです。

馬車道は今年2017年に、1867年(慶応3年)に60フィートの計画道路に整備され「馬車道」と呼ばれるようになってから150年を迎えました。馬車道商店街協同組合では従来の馬車道シンボルマーク(BSマーク)に加え、150年を記念するロゴタイプを、横浜関内エリアを中心に活動されている多くのクリエイターを中心に募集しました(写真①)。

① 150 周年プレ・イヤーで、イベント時に掲出されたフラッグ
「最優秀作品 作者:天野 和俊さん」
(所属 天野 和俊デザイン事務所)

馬車道には、横浜の【日本初】がたくさん!

開港場に直結していた馬車道は、外国文化と接する玄関口で、横浜には「日本初」といわれるものが多くあります。
■アイスクリーム

町田房蔵が、馬車道の氷水屋で「アイスクリン」という名前で販売したのが日本初とされています。当時はとても高価で日本の人々には手が出なかったようですが・・・。日本アイスクリーム協会が毎年5月9日を「アイスクリームの日」として、馬車道商店街が街を訪れた人達に馬車道あいすを配っています。

アイスクリーム発祥の碑

住所
神奈川県横浜市中区常盤町4-47
最終更新日:2017.10.18
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■近代街路樹

1867年(慶応3年)に馬車道の各商店が、通りに沿って柳や松を植えたことが近代街路樹の先駆けとされているようです。横浜市制90周年並びに開港120周年記念にあわせて中区尾上町5丁目に「近代街路樹発祥の地」の碑が建てられました(写真② ③)。

②「街路樹」

③「近代街路樹発祥の碑」

近代街路樹発祥の地

住所
神奈川県横浜市中区港町5
最終更新日:2017.10.18
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■ガス灯

明治3年に高島嘉右衛門が中区花咲町にガス会社を設立。明治5年に神奈川県庁付近と大江橋から、馬車道、本町通りまでのおよそ600メートルの街路に、ガス街灯十数基を点灯しました。これを記念して1986年(昭和61年)9月に馬車道商店街協同組合が中区住吉町に「日本で最初のガス灯の碑」を建てました(写真④)。

④「日本で最初のガス灯の碑」

日本で最初のガス灯の碑

住所
神奈川県横浜市中区住吉町4丁目
最終更新日:2017.10.18
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■日刊新聞

明治3年に中区本町通りで日本初の日本語日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊されました。

日刊新聞発祥の地

住所
神奈川県横浜市中区本町6
最終更新日:2017.10.18
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■乗合馬車

明治初年には横浜から東京行きの日本初の乗合馬車がこのあたりから出ていたようです。2頭立て6人乗りで東京まで約4時間ほどかかったそうです。

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