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横浜今昔物語⑤ 横浜中華街の歴史

開国によって欧米とのビジネスが発展した横浜。その仲介を担う役割として多くの華僑も横浜にやってきて、横浜中華街の歴史が始まりました。アジア最大級の中華街とも言われる横浜中華街について、詳しくご紹介します。(2017年3月発行「Mon横濱」vol.7より)

公開日 2017年10月27日

カテゴリ
街を知る
エリア
元町・中華街駅
ライター
Mon横濱
横浜今昔物語⑤ 横浜中華街の歴史

1859年(安政6年)に開港された横浜。開港と同時にイギリスやアメリカをはじめとする欧米から多くの商人たちが横浜に進出してきました。こうした欧米の商人と一緒に、買弁(外国の貿易商との仲立ちをする業者)や通弁(通訳)として大勢の中国人たちも横浜にやってきて仕事に従事する姿が見られるようになりました。もともと中国の広東、香港、上海などの外国人商館で働いていた中国人たちは欧米人と会話ができましたし、欧米人との商習慣をよく理解していました。欧米の商人たちは、言葉が通じづらい日本人とも漢字の筆談などによって意思の疎通が図りやすい中国人に、ビジネスの仲介役を担ってもらったということですね。中国人の買弁は、日本人貿易商が外国商館にお茶や生糸を売り込む際の取次ぎをしたり、輸入品を受け取る際には品質の検品をしたりして、手数料を受け取っていたようです。

なかには、欧米の商人と日本人商人の商売の信用を保証し、トラブルが生じたときには損害賠償を行うなど、責任ある立場の買弁もいました。そうした信用と資産を蓄えて新たな事業を始めたものも少なくなかったようです。その後も日本の開国という状況変化をチャンスととらえて欧米人とは別に横浜居留地にやってきた中国人も多数いて、外国人居留地の人口の約6割は、彼ら華僑によって占められており、1890年代には3,000人を超えるまでになっていたそうです。

横浜華僑の職業

華僑の代表的な職業は、三把刀(料理、洋服の仕立て・裁縫、理髪)といわれていました。三把刀とは「刃」を使う3つの専門職のことで、特に洋裁店が多かったようです。居留地の欧米人人口の増加と日本人の洋装化に伴い洋服の需要が高まったことが背景としてあったのですね。
多くの人々が住みつき日常生活を営むようになると、当然のように三把刀だけでなく様々な職業が発展していきました。商業では、雑貨や海産物、お茶などの輸出入貿易商、漢方薬局、骨董品店、食料品店などの小売店。そして両替商や保険代理店などもありました。日常生活に密着したサービス業では、理髪店や浴場、料理屋、クリーニング店などがありました。 
また中国人が経営する洋裁店、印刷所、ピアノ製造所などで日本人が職工として働くケースもあり、そんな日本人たちにとっては、華僑からいろいろな技能を学ぶ良い機会にもなっていたようです。

華僑たちが乗り越えてきた戦禍や天災の苦難

経済・社会面とも充実していた華僑の日常は1894年、日清戦争の勃発によって大きく変わっていきます。日本人一般の在住中国人に対する感情が悪化したり、買弁の商取引条件が厳しく見直されたり、居留地の撤廃問題に直面したりせざるを得なくなりました。また1923年(大正12年)の関東大震災では横浜市全域も壊滅的な被害を被り、中華街は古い煉瓦造りの建物が密集していたため倒壊や火災による被害が甚大だったそうです。亡くなった方や行方不明者も多く、また多くの華僑たちが神戸へ、神戸から本国に避難しました。また第2次世界大戦の横浜大空襲でも中華街周辺の多くが焼けてしまいました。幕末の開港時から始まった中華街の歴史と今日の繁栄。それは、天災や度重なる戦禍を乗り越えてきた華僑たちの不屈の精神によって支えられたものなのですね。

中華街の門や廟

中華街には東西南北の4つの方角の他にも、全部で10基の色とりどりの門があります。いずれの門にも守護神がいて、邪をはらい街に繁栄をもたらしてくれる意味があります。また華僑が信仰する廟として関帝廟と媽祖廟があります。関帝廟は三国志の英雄関羽を祀った廟で、1860年過ぎに始まったとも、1870年代中頃に建立されたともいわれています。関羽は武神として、また算盤にも長けていたということから、商売の神様として華僑たちの厚い信仰を集めています。媽祖廟には航海の安全を守る媽祖という女神が祀られています。
中国のお正月は旧暦の春節です。華僑の人達は関帝廟や媽祖廟に初詣のお参りに行きますし、国慶節(10月1日の中華人民共和国の独立記念日)や、雙十節(10月10日の中華民国の建国記念日)にも祭事が行われ、中華街はおおいに盛り上がりをみせます。

周辺の街路と斜めにズレている中華街の向き?

大岡川、中村川、堀川に囲まれた釣り鐘型のエリアは約350年前までは遠浅の入り江でした。吉田勘兵衛によって干拓されて吉田新田が完成したのち、江戸末期に新たに横浜新田が埋め立てられました。中村川を流れてきた土砂が、入り海に突き出た浜(よこはま)の根元付近に斜めに堆積していったのを利用して田んぼの畔などの区画が出来上がっていき、現在の中華街がある場所が結果的に周辺と方向がずれた東西南北を向いた土地になったといわれています。中国人たちが風水を重んじて・・・などの説もあるようですがいかがでしょうか?

【参考文献:「開港から震災まで 横浜中華街」 横浜開港資料館】

横浜中華街

住所
神奈川県横浜市中区山下町
電話番号
045-662-1252
最終更新日:2017.3.3
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※飲食店情報の平均予算は、食べログの店舗基本情報を引用しています。

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