
お店の戸を開けてすぐさま鼻に届く、非常に素敵な香り。それももっぱらフローラルな印象で完結するのではなく、草木の気配も濃厚、かつハーブ的な清涼感も織り混ざったようなとても重層的な香り。オーケストラを聴いているかのような情報量の多さです。
否応なしにさらわれていくように圧倒的で、でもそれがまた心地よく。
否応なしにさらわれていくように圧倒的で、でもそれがまた心地よく。

香りで一気に気持ちを持っていかれるがままに眺める店内もまた均整の取れたカオス感があって、個々に何がというより、そのまとまりとしての美しさが、静かながらに何か確実に刺さってくるようなところがあります。
このお店に並ぶ商品は常時50種類ほど。所定の位置に本が格納された本棚のような感じが皆無の、不思議だけれどもどこか美しさを感じさせる脈絡でそれらは配されています。
このお店に並ぶ商品は常時50種類ほど。所定の位置に本が格納された本棚のような感じが皆無の、不思議だけれどもどこか美しさを感じさせる脈絡でそれらは配されています。

一般的なお花屋さんで見つけるバラエティが、「色とりどり」という言葉に表されるような、明るさや華やかさの程度や質の違いによるものだとしたら、このお店には陰りや乾きといったダークなベクトルまでもが備わっているような、そういう印象。
死を意識するからこそ生が充実するのにも似た、そういう暗くて深い奥行きを伴った美しさが、花に独特の艶を与えているような気がするのです。
死を意識するからこそ生が充実するのにも似た、そういう暗くて深い奥行きを伴った美しさが、花に独特の艶を与えているような気がするのです。

店主の吉田耕治さんによるこんな取り合わせの妙が息づく空間が、小路苑です。かねてから好んでよく散策もしていたというここ神楽坂でオープンしたのが2000年10月。独特の美しさを誇るこの空間も丸18年もの月日を数えることになります。

小さい頃から花そのものへの関心はもちろん、色であるとかモノであるとか、様々な要素を組み合わせてみるのが好きだったという吉田さん。生来持っていたそんな編集的感性があるとき花に向けられやがて開花・結実したのがこのお店、と言えそうです。

花のある空間として、インテリア的なインスピレーションをも大いにかきたててくれるその雰囲気に似つかわしく、食器や花器を手がける陶器作家の個展なども年に数回ここで催されています。
もの言わぬ佇まいから、植物にしか出せない官能性のようなものがひしひしと伝わってくる店内ですが、ひとり、よく食べよく飲み元気に動き回る、人が大好きなわんこも。ミニチュアブルテリアのコユキちゃんです。
もの言わぬ佇まいから、植物にしか出せない官能性のようなものがひしひしと伝わってくる店内ですが、ひとり、よく食べよく飲み元気に動き回る、人が大好きなわんこも。ミニチュアブルテリアのコユキちゃんです。


その躍動的かつ愛嬌のある姿は、植物ばかりの空間で逆説的に花を添えているかのよう。
なお、お店のこの非常に独特な美しさのセンスのなんたるかについて、なにがしかのヒントが得られるかもしれない機会もあります。月イチで行われるというフラワーアレンジメント教室です。
なお、お店のこの非常に独特な美しさのセンスのなんたるかについて、なにがしかのヒントが得られるかもしれない機会もあります。月イチで行われるというフラワーアレンジメント教室です。

花を扱うことをめぐってはこれといった明確なセオリーがない中、一回ではなく二度、三度と続けて参加することではじめて手応えを得ていくという人も多いもよう。


そもそもここでの買い物に関しても、空間全体としての魅力のあまり、ここでどんなお花を買い、どうやって我が家の日常に迎え入れようか戸惑ってしまうようなら「一本の枝、あるいは一輪の花単体だけでも映えるのを選ぶと良い」ようです。
たとえ小さなものであっても、そこは大変素敵なオーラをまとったこのお店出身の花のこと、あなた自身の、または贈ってあげたいあの人の、何気ない日常を確実に美しく底上げしてくれそうな気がしてきませんか。
たとえ小さなものであっても、そこは大変素敵なオーラをまとったこのお店出身の花のこと、あなた自身の、または贈ってあげたいあの人の、何気ない日常を確実に美しく底上げしてくれそうな気がしてきませんか。

(文:古谷大典)
(写真:小島沙緒理)
(写真:小島沙緒理)
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