ここ数年、小田原で盛り上がりの機運を見せるかまぼこ通り界隈。
小田原駅から1キロほど南下した、海も間もなく姿を現すこの辺りには蒲鉾、干物、削り節などの加工場や販売所、またそれを代々の生業とする家も目立ちます。
小田原駅から1キロほど南下した、海も間もなく姿を現すこの辺りには蒲鉾、干物、削り節などの加工場や販売所、またそれを代々の生業とする家も目立ちます。


かつてのまち並みを今に伝えるお店も。
次世代の担い手が減少の一途をたどり、地域を代表する産業の現場らしい活気もいまひとつ。そんな状況を打破するべく立ち上がったごく少数の志ある若手がやがて周囲を巻き込み、今では50名以上を数える協議会を組織するまでに。エリア内でのかまぼこ食べ歩き推奨など自慢の味わいに親しんでもらう社会実験にも取り組んだりと、日々挑戦を続けています。
そんな中、彼らのオファーもあって、喫茶店「ケントスコーヒー」をおととし2018年にこの界隈へと移してきたのが、お店のマスターにして小田原まち歩きのスペシャリストでもある平井丈夫さん。
そんな中、彼らのオファーもあって、喫茶店「ケントスコーヒー」をおととし2018年にこの界隈へと移してきたのが、お店のマスターにして小田原まち歩きのスペシャリストでもある平井丈夫さん。


生まれも育ちも小田原である彼。大学時代、これからどう食べていこうか考えたとき「いわゆる当時の『モーレツ社員』としてどこに転勤になるかもわからない会社員生活を送るよりは、地元で面白い場をつくって過ごす方がよっぽど楽しそう」、そんな理由から小田原珈琲館をオープン。1977年のことでした。
当時登場して間もなかったファミレスの深夜営業に触発され、同世代の若者が夜な夜な集まっては長々と語らえるよう、お店は深夜2時までオープン。BGMにはビリー・ジョエルやボズ・スキャッグスなどのポップミュージックを。
当時登場して間もなかったファミレスの深夜営業に触発され、同世代の若者が夜な夜な集まっては長々と語らえるよう、お店は深夜2時までオープン。BGMにはビリー・ジョエルやボズ・スキャッグスなどのポップミュージックを。

現店舗は民家を改装したもの。靴を脱いでお邪魔するアットホーム感。
今をときめくヒットチューンに心躍らせつつ、自家焙煎で供される一杯を片手にあるときは恋バナに花を咲かせ、またあるときはインベーダーゲームに興じてみたり。そんな風にして過ごすお店は小田原の若者にとっての格好の遊び場として、大いに人気を博したようです。
1986年には、当時生まれた子どもの名前にちなんで「ケントスコーヒー」と店名も改めつつ、以降かまぼこ通りに越してくるまで二、三度場所を変えながらも一貫して小田原市内でお店を続けてきました。
1986年には、当時生まれた子どもの名前にちなんで「ケントスコーヒー」と店名も改めつつ、以降かまぼこ通りに越してくるまで二、三度場所を変えながらも一貫して小田原市内でお店を続けてきました。

テラスでは潮騒の音。自家焙煎コーヒーをすすりつつレアチーズケーキなども。
楽しむ、ということを片時も忘れず日々過ごしてきた平井さん。店内で時間を共にする仲間達と連れ立ち、さかんに街や山や海に繰り出しては、その先々で先人が育んだ文化に触れるなど、郷土のあゆみへの見聞もおのずと深まっていくように。
店を核とするゆるやかなコミュニティにはいつも「こんどは何して遊ぼうか」なんてピュアな空気が横たわっている中では、まち歩きといったイベントごとを彼が率先して企画するのもごく自然発生的に始まったことなのでした。「小田原きってのまち歩きコーディネーター」としての今のプレゼンスも、まさにその延長線上にあります。
店を核とするゆるやかなコミュニティにはいつも「こんどは何して遊ぼうか」なんてピュアな空気が横たわっている中では、まち歩きといったイベントごとを彼が率先して企画するのもごく自然発生的に始まったことなのでした。「小田原きってのまち歩きコーディネーター」としての今のプレゼンスも、まさにその延長線上にあります。

今店舗でかけるのはストレートなジャズ。
今ではラブコールを受けてやってきたここかまぼこ通りで、まちおこしに奮闘する若手を後ろからサポートしつつ、広く小田原全域に渡りまち歩きや地域に根ざしたイベントを企画・運営するなど、交流の機会をつくり出す日々。ジャズマンが互いの持てる個性を出し合い、その場で創意豊かな演奏を行う「セッション」になぞらえ、その活動体の名前も「小田原まちセッションズ」と。
現店舗のロケーションを生かし海辺で楽しめるハンモックのレンタルを始めたり、丸々として踏み心地も軽やかな海辺の石を拾い集めてはみんなで石積みアートに興じたり。店からわずか50メートル先に控える青い海と潮騒のリズムに着想を得ながら、切り口さまざまにこのフィールドの味わい方を見つけています。
現店舗のロケーションを生かし海辺で楽しめるハンモックのレンタルを始めたり、丸々として踏み心地も軽やかな海辺の石を拾い集めてはみんなで石積みアートに興じたり。店からわずか50メートル先に控える青い海と潮騒のリズムに着想を得ながら、切り口さまざまにこのフィールドの味わい方を見つけています。


店の目の前には、60年ほど前まで売り買いの声が飛び交っていた魚市場の跡。ブリなど沿岸漁業で獲れた新鮮な魚介がここにゴロンと並べられていたとか。海もふくめ辺りをぶらつけば、かまぼこに代表されるこの地の魚食文化の記憶の断片は、そこかしこに。
暮らしを営む場所として、働き・遊ぶ場所として、自分がよって立つところのまち。ぱっと見にすぐわかるものばかりとも限られないけれど、五感を開いて風を受け止めるうちに何かしら捕まえられるそのアイデンティティの種。平井さんはそれを手繰り寄せては、日々、市民と分かち合い続けています。
暮らしを営む場所として、働き・遊ぶ場所として、自分がよって立つところのまち。ぱっと見にすぐわかるものばかりとも限られないけれど、五感を開いて風を受け止めるうちに何かしら捕まえられるそのアイデンティティの種。平井さんはそれを手繰り寄せては、日々、市民と分かち合い続けています。

(文:古谷大典)
(写真:奥陽子)
(写真:奥陽子)