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憂き世を忘れる笑いも音楽も。山谷を知る写真家の映画喫茶「泪橋ホール」

good mornings

公開日 2021年2月23日

コーヒーや酒類・ポップコーンを片手に観る往年の名画。店主が作る名物餃子。週末ならライブ演奏があることも。表立って取り上げられることの少ない山谷(さんや)という地域の人の営みとも不可分なものが、このお店にはあります。

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さんずいに目と書いて、泪(なみだ)と読ませるこの字面。どこからともなくこぶしの効いた演歌の節回しが聞こえてきそうな「泪橋」とは、かつて江戸時代、ここに実在した橋の名前です。今では南千住の駅からほど近い交差点にその名を留めています。

当時、橋を渡った先に控える小塚原(こづかっぱら)刑場での処刑に先立ち、罪人達はここでその今生の別れに知人ともども涙した。そんな由来を聞くだに、実に心に爪痕を残すもののある地名です。

そこから南側、台東区日本堤から清川にかけての簡易宿泊所が集う界隈の一画にあるのが泪橋ホール。ことし2月を以てちょうど二周年を迎えています。
店主・多田裕美子さんは山谷(さんや)と呼ばれるこの地域から数キロ南へ下った、浅草の育ち。喫茶店、あるいは居酒屋のようにも利用できるこの店ではDVDによる映画上映も日々行われ、これが主な客層である地域の人、特に生活保護で暮らす高齢者から喜ばれています。

店の入り口に向かってすぐ右隣にはかつて両親が営む大衆食堂があったというのも縁のある話で、いち押しの名物・泪橋餃子もそんな父母直伝とあって、この土地にピンポイントに根を張る伝統の味なのです。

おかずが二品ついた餃子定食も。税込650円

上映中の様子。コロナに伴い換気、またスクリーンも小型にしつつ。当初は背後に暗幕を下ろしていた(多田さん提供画像)

簡易宿泊所を利用するのはもっぱら日雇い労働者ばかりという界隈の光景も今は昔。景気の悪化、また高齢化によりいま宿泊所で寝泊りする人の八割が生活福祉の下で暮らしているといいます。

経済的自立に向け模索する日々の中、心の風通しがいまひとつ芳しくない時でもここでスクリーンを眺めていれば、いい気分。映画が娯楽の王様として世に君臨していた時代をリアルタイムで知る世代なだけに、当時の作品が呼び起こす感情もまた相応に深いものであるはずです。

こんなところに「映画喫茶」とは、と一見して意外に思える立地ですが、その背後にはそういったこの地域ならではの文脈が横たわっています。
山谷ではじめる飲食店。その目玉コンテンツにはぜひとも映画を、と多田さんは配給会社に打診するも、先方からは上映一回あたり5万円が必要との返事。これではとても実現できないと仕切り直してクラウドファンディングに挑戦していたところ、別の社からのオファーにより上映回数に関係なくごく安価で貸してもらえることに。そんな当初の顛末を経て今、邦画・洋画合わせて目下100本以上ものラインナップの中から選ばれる一本が、飲食代のみで楽しめるようになっています。映画のお供の定番・ポップコーンやミックスナッツも各100円とごく安価です。

店を営む一方、写真家としての顔も併せ持つ多田さん。子どもの頃、親の仕事場を覗きに時たま訪れる程度ではあってもその目で垣間見てはいたこの山谷のまちを、人間の姿を撮ることを通じ根本的に見つめ直したこともあります。約20年前のことでした。

炊き出しの会場にもなる玉姫公園を中心に、地域の各所で盛んにシャッターが切られたその時の記録は、5年前に写真集として刊行されてもいます。タイトルは『山谷 ヤマの男』。
カメラを真正面から見つめ返す男たちのまなざしは総じて鋭く、撮影当時、既に減少の一途を辿っていたその姿が今や本当に失われていることを思うと。

伝わってくるものは小さくありません。
おカネも身分も、世で持ち上げられるほどには確固たる実体を伴わないもの。でもそれらにすがり・頼ることすらままならない環境下で人間が求めるものの本質が、ここで映画、また時に催される音楽・コメディなどのライブに浸り・心躍らせる人々の姿に見てとれるように思います。

いいねえ。笑える。きれいだ。似た境遇のひとりもの同士、互いに一切の身の上話を避けながら過ごす中、目の前で繰り広げられるものを見るがまま聴くがままに笑い、感動する。いっときでも確かに心を満たせられる幸せが待っているこのお店です。「ママー、もう一杯」の声からわかる今日の当人の調子に、ひとまず安心を覚えるという多田さん。

このまちだからこそ顕在化する人の情けもまたあって、席を立っていざ会計、小銭を取り出そうとポケットをまさぐる様子が妙に長い客がいるのに気付くなり「こっち(自分)につけといて」と、その勘定を寛大にも引き受ける常連さんもいたりします。もちろんその時の懐しだいとはいえ、例え見知らぬ他人のものですらそうするというから、驚きます。

毎日一時間、店でピアノに興じるのが日課の人も

店のコンテンツをあしらった装飾もこのほど新たに登場(多田さん提供画像)

コロナに翻弄されつつも無事二周年を迎えて今、多田さんは初心にかえるそのたびに、とある猫に改めて思いを馳せてもいます。

店のオープンもそろそろという時期のある夜に路上で見つけた、ケンカをしたのかあまりにひどい傷を負っていて見過ごせなかったという一匹の猫。動物病院に連れていき、発見場所のご近所さんや獣医とも連携しながらケアした甲斐あって、無事快方へ。知らずのうちに愛着を覚えていた多田さんには「この子に看板猫の役を引き受けてもらおう。身寄りなくさびしくしている人のためにもきっとなるはず」と期待を抱いていたものの、不幸にしてオープン直前に亡くなってしまったのです。

店頭の看板ほかで、映画・カフェ・餃子と並ぶアイコンとしてその姿を見せているトラちゃん。お客さんは誰ひとりとしてその姿を知らずとも、話に挙がるその都度、今なおその子を想う店主の気持ちに寄り添ってあげたいと思っているはずです。
(文:古谷大典)
(写真:小島沙緒理)

映画喫茶 泪橋ホール

住所
東京都台東区日本堤2-28-10
電話番号
03-6320-4510
営業時間
12:00~21:00
定休日
木曜日
最終更新日:2021.3.3
データ提供:食べログ
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