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建築と絵を繋いだのは街の歴史。“残したい風景”を描く神田の絵空師

「かんだやぶそば」を訪れた時、壁にかかった絵に目が留まった。江戸・明治、大正・昭和、そして現在の「かんだやぶそば」の姿が描かれたその絵は温かい雰囲気で、なんだか並々ならぬ“神田愛”を感じるものだった。その絵を描いたのは、建築家であり、画家でもある木下栄三さん。聞けば、神田の街の風景をもう40年以上も描き続けている有名人なのだとか。彼が見てきた神田を知りたい!ということで、会いに行くことに。

公開日 2017年3月21日

カテゴリ
街を知る
エリア
神田駅
小川町駅
ライター
good mornings
建築と絵を繋いだのは街の歴史。“残したい風景”を描く神田の絵空師

木下さんの建築事務所は、神田西口通りから逸れた路地にある。現在66歳になる木下さんは名古屋出身で、23歳の時に転勤で東京へ。絵はもともとの趣味で、職場が神田にあったことから周辺をスケッチして歩くようになったそう。1985年に発刊されたビジュアルブック『絵本かんだ彷徨』には、雨の日に色とりどりの傘が連なる聖橋から、建築家・曽禰達蔵が手がけた「YMCA」の赤レンガの会館、豪勢な武家屋敷まで、彼が描いた昭和の神田の風景がたくさん収められている。どれも、木下さんが“残しておきたい”と思った古い神田の風景だ。
「これは昭和53(1978)年くらいから描き溜めたものをまとめた本でね、その頃の神田には絵にしたいと思う建物やエリアがたくさんあった。新しいビルは描く気がしなくて、年月を経ることで滲み出てくる色気に惹かれるんでしょうね。例えば銅は錆びると緑青が出るけれど、綺麗な青が出て来るまでには20年くらいかかる。老朽化とも言えるけれど、それが単なる“腐敗”なのか、良い具合の“発酵”なのかは、人々の受け止め方によると思います」と木下さん。

“建築家”と“画家”という2つの眼を持つ木下さんに、いまの神田の街はどう写っているのだろうか。「“らしさ”が失われつつあるように感じます。建物を建てるからには利益を生み出さないといけないけれど、神田が高いビルでいっぱいになっていくのは違うと思う。土地にはそれぞれ脈々と積み重ねてきた“履歴”があるんです。神田で言うならば、駿河台の丘、神田川や聖橋のスケール、かつては街一番の高い建物だったニコライ堂といった江戸の原風景。……そういう神田の“地の履歴”を無視してビルを建てると“らしさ”が失われてしまう。東京は大震災や空襲で目に見える風景は壊れてしまった部分もあるけれど、土地に刻まれた履歴は消えていないんです」。

そんな木下さんには、今後300年をかけて達成したい夢がある。それは東京の街に、江戸時代にあった36ヵ所の見附を復活させることだ。50歳から江戸の歴史を勉強し始めたという木下さんは、江戸文化歴史検定1級を取得。その後どんどん学びに没頭していくうち、神田のみならず東京の街全体の理想的な将来像を考えるようになったそう。“建築”と“画家”という、2つのライフワークが“歴史”というキーワードで繋がり、自分にしか出来ない使命を見つけたのだ。
「もともとの東京の地の履歴を生かし36見附を復元させることで、災害時のインフラが整い、環境問題は緩和、観光資源にもなるなど、とても魅力的な東京の街づくりに繋がるんです。この構想を達成するには2〜300年ほどかかると見ているので、私の役目は自分の絵を通して江戸の風景を後世に伝えることだと思っています。そのために、朝日新聞の『江戸城今昔』という連載で、江戸城の風景と現代の風景を合わせた絵を描いたり、江戸城があった皇居のツアーなどを行っていて。興味を持ってくれた人がまた次に繋いでくれたらと願っています」。

※紹介されている情報は、記事公開当時の内容となります。
※飲食店情報の平均予算は、食べログの店舗基本情報を引用しています。